2024
11
22
2005
04
26
JR列車事故
昨日一度記事を上げたのだが、あまりに状況が悲惨になっていくことを思い、下書き状態へ戻してしまった。まず、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしご家族にはお悔やみを、けがの方々にはお見舞いと一日も早い回復をお祈りしたい。そして、全員の一刻も早い救出を祈ります。
まだ原因がわからない時点で…と思うが、テレビを見て、昔を思い出したりしている。私は鉄っちゃんというほどではないが、Nifty時代は鉄道フォーラムをのぞいたり、タモリ倶楽部での先日の「ベスト踏切」など見るのは嫌いではない(小湊鉄道は見逃した)。でも、車両とかATSとかの歴史など全然わからないし、昨今の車両の軽量化による省エネの動きというのも今回の事故で初めて知った。
ラッシュ時の遅れをとりもどそうとしていたという話があるが、私が今まで最も利用していた日本最大の私鉄である近鉄の名古屋本線(伊勢中川〜名古屋)はすごかった。とにかく遅れない、めったなことで止まらない。台風や集中豪雨、雪などで「近鉄が止まった」と聞くと、「じゃ、しょーがないなー」という認識である。それは今も変わらない。
名鉄はしょっちゅう遅れており、遅延証明を持っての通勤通学は多かったようだが、近鉄組はそういう言い訳はできないのであった。近鉄名古屋本線は、私が利用していた当時は、急行(普通乗車券で乗れる最も早い列車)が、弥富(やとみ)〜名古屋間が15分近くノンストップ。多少の遅れをここで一気に挽回するのだ。直線コースだったので、時に左右の激しい揺れから相当スピードをあげていると感じられ、友人などが一緒に乗車していると、「おお、これは定時に着くぞ」とよく言い合ったものである。事故の可能性など考えたこともなかった。そして、たいてい定時到着。乗車している私たちにとっては、定時到着が当たり前だったのだ。特に、社会人になってからは1分1秒が惜しい。そのうち、私は40分立ちっぱなしが嫌で、特急(乗車時間30分)や準急(同じく55分)に乗るようになってしまったのだが。
高校時代は鉄道マニアが撮影に来る狭軌の近鉄の某ローカル線で通学していたが、今考えると事故が起こってもおかしくない乗り方をしていた。車両もマッチ箱と呼ばれており、車両間の行き来ができない、ドアも手動であった(今は行き来ができて自動ドア)。車両間の行き来ができなくてもよかったのだ。昼間は一両しか走らないので。通勤通学の時間帯だけ3両だったかな。
ある日、学校側の連絡ミスか何かわからないが、テストで早く終わって駅に行ったら、1両しか来ていなかった。そこへ明らかに定員オーバーの人数が乗り込もうとする。車掌さんは「次にしてな」と言うが、「そんなん待ってられへん」ということで、最後には男子生徒は田んぼに回って窓から乗り込んだ。私は、車掌さんに「ドア閉まっとるんか?大丈夫?」と聞かれたが、「し、しまってます」と応えると、「川のところ、気をつけてや」とドアが閉まりきっていないことがばれていた。「は〜い」と応えて、半分ぐらいドアをあけたまま出発。小さい川だが鉄橋を渡る時、下を見るとなかなかスリルがあった。この時事故起こっていたら…本当にとんでもないことになっていたと思う。無事四日市駅に到着してよかった…。本当に田舎の高校生は無茶したな
今回の事故はこれから解明されていくだろうが、早さとか省エネより、安全という最も大事なところの見直しのきっかけになることを期待する。これからは、世の中は何もかもリスク・マネジメントの要求がなされるだろう。先日の日立台のことにしても。
2005/04/26 (Tue.)22:12 Trackback() Comment(0) 未整理で混在中
Comments
Trackback
Trackback for this entry: