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2011/3/11

まずは、今回の震災で被災された皆様にお見舞いと一日も早い復興を祈ります。この震災のもたらしたものは甚大だ。

やっとまとまった文章を書く気になった。ひとごとのようなそうでないような、変な感覚のこの数日だった。この感覚、ちょっと危ないかも。


◆地震前日10日(木)
就業日ではなく助かったが、体調絶不調。ほとんど寝て過ごした。半年ぶりぐらいのひどいめまいだった。


◆地震当日11日(金)
この日も就業日ではなく、前日なまけたのとよく寝たので、さくっと起床し、朝食食べて、かかりつけの眼科へレーシックの報告。「きれいですね」(眼が)と先生より。ドライアイ用使い捨て目薬400本処方。薬局行ったら案の定在庫なく100本だけもらって、残りは来週引き取り。

久々に人気のパン屋で保存がきくパンを買い込み、スーパーへ寄って帰宅。「いいとも」→「さくら心中」までフジテレビをフルで見て、「さー、いいかげん、計画書を書かねば!」とPCへ向かう。

ここまでは、のんびりした日常だった。

その時である。「揺れた」と思ったので、すぐNHKをつけた。「14:46宮城」。そっか、2分前に宮城ね…と思うか思わないうちに、ゆさゆさゆさ…と。「えー地震波って時差あるの?すぐおさまるのか」とか思っていたが、ぐわんぐわんぐわんとだんだん強烈に。PCデスクの椅子に座っていたが、デスクの棚に入れてあったものがどんどん落ちてくる。FDDとかCDとか角があぶないー、あれ?電話どこいったの?マウスがなーい(コードレス)。揺れはおさまらず、心の中で「冗談でしょ!」と叫ぶ。声も出なかった。阪神淡路大震災の時は、実家にて震度4だったが…すっかりあの揺れも忘れていた。
「これは避難すべきなのか」「一人暮らしはこうやって物が覆いかぶさって、恥ずかしい室内のまま発見されるのね」とか、いろいろなことが頭の中を回り、「逃げた方がいい!」と玄関へ。
椅子からまっすぐ立とうとしたのだが、立てない。身体が斜めになったまま、「あれ?ワゴンがふさいでいるよー」とどけて、でも、揺れる力でどかず、隙間から出て、玄関到着。こんな狭い部屋なのに…絶句。
手にしていたのは、テレビのリモコン。これはいかん!と引き返して、携帯と取り替えて、マンション1Fまで階段で降りる。

途中踊り場で携帯メールする女性が「怖い」と言っていた。管理人さんが「揺れたでしょう」と声をかけてくれて、「はい、怖かった」。エレベーターは止まっていた。少し落ち着いて9Fまで歩いて戻る。実家の父の携帯はつながらなかったので、メールだけいれておく。ふだん階段も昇っているのと、火事場の馬鹿力(?)もあって、10Fまで登ってしまった。すると、ベビーカーが踊り場に落ちてきていた…。
部屋に入って惨状にげっそり。テレビはつけっぱなしで停電はしてないな。PCもついている。でもマウスがない。床が見えない。浄水ポットがひっくり返り水が広がっている。余震も来るし片づけるのもなぁ…。誰かの声を聞きたい!…ということで、電話機を発掘して、江戸川区友人へかける。ひかり電話だが、一発でつながった。あちらは11Fでやはり揺れた揺れたとのこと。シンク下の棚のものはすべて飛び出したけど、食器棚は無事。ふたりでしばしガス抜き。
次に、実家に電話。母親が出る。「もう一人暮らしいや!ごきぶりのがマシ」とかめちゃくちゃ言ってました(爆)。
その後、静岡の友人へ電話。「mixiにもtwitterにも書き込みないから心配してたよ!」と言われた。なんでも、静岡でも避難勧告が出たところがあったらしい。
人の生声を聞いて、ネット見て、Skypeの存在をすっかり忘れていたが、その夜は夜中に普段着のままホットカーペットの上で寝た。
家にいてよかったのか、職場のほうが人がたくさんいて安心できたかもとかいろいろ思いつつ、テレビに釘付けになりつつ、津波の恐怖に怯えつつ、帰宅難民の皆さんの大変さを垣間見つつ、もちろん東北のあのすさまじい津波の爪痕に言葉もなく、二日目の朝を迎えた。長野の揺れで目が覚めたり、緊急警報も鳴ったり…早く明るくならないかな。

…という2011年3月11日(金)であった。

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2011/03/17 (Thu.)21:27 Trackback() Comment(2) 日常生活、雑記

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しょうさんご無事でしたか。mattiもたまたま休暇で在宅。窓開け掃除しよ~なんてバタバタし始めたら、ラジオが緊急速報~とアラーム鳴り布団かぶってたらゆっさゆっさ揺れてすんごかった!こわかったよお。
そこから薬局は激動の1週間でした。磐城の薬品工場が壊れチラージンS供給STOP。流通が滞っています。(どっかがため込んでいる)温度管理が必要な薬品もあります。。未曾有の危機に戸惑っている状況。知り合いの医師は派遣され被災地で診療をはじめるとのこと。停電、生活物資の不足は戒厳令と思って耐えてるんだけど、医薬品工場が津波で壊れるのは想定範囲を超えてました。
ああ、ユナパフクアリが恋しい~ファン感の楽しいひと時が夢のようです。しかし亡くなった方も多く泣いてはいられない、自分の職を全うしようと言い聞かせています。

matti  2011/03/20 (Sun.) 23:34 edit

mattiさんもとりあえず無事でよかったです。私は阪神淡路の震災の折は三重の実家に降り、震度4強だったかな、「たんすが倒れてくるー!」と飛び起きましたが、今回はその記憶を上書きする揺れでした。発災後数日はちょっと気持ちが落ちてつらかったです(阪神淡路の時の自分を思い出して)。
医薬品工場が壊れるというのはそれは想像はできないですよね。青森県に住むmattiさんご同業の方は、分包の紙がない…とかおっしゃってました。日常は自分の工夫でなんとかなるかもしれませんが、仕事に支障があると本当に大変です。
18時には店がしまってしまう都内。コンビニでカレーが売れ残っているのは、皆さん、レトルトカレーに飽きたからだ!と私は思っています。職場も揺れて今日も怖かったというか船酔いみたいで気分が悪かったです。
友達は支援に援助に行ったりするみたいなのに、私は修論準備で教授から容赦ないメールが来ているこの頃です(幸せなことですけれど)。

2011/03/22 20:52

チラージンに続きエンシュアリキッド、ラコールといった栄養剤も供給困難に。問屋にメーカーは病院に重点おいて、供給すると言ってるそうな!在宅患者は入院患者に準じた扱いにしろ~とメーカーにいえ!とmattiクレーマーとなりました。怒!!TVの原発避難地域の病院の悲痛な叫びもそうですが、在宅医療の場も現代の姨捨山ではないかとショックを受けております。
青森は分包紙不足とは・・・最悪手撒(薬包紙)もありますが、きっと薬包紙も不足に違いない。ほんとうに未曾有の経験です。
阪神大震災時は出産したばかりで、地震を昼のニュースで知ったくらいで、医療現場の混乱を体験していないのです。

matti  2011/03/23 (Wed.) 22:01 edit

エンシュアリキットなどもですか…(絶句)。メーカーさんのしてみれば、在宅は優先順位が落ちるんですね…。しばらく大変そうですが、状況がよくなることを祈っています。
大きな地震の前後は、多分、私のターニングポイントなのでしょう。阪神淡路の震災の後、おそらくそれがあったからとも思いますが、私は看護大へ進学しました。若い同期もそういう人たちが少なからずいました。
そして、今は、修論に苦しむというめぐりあわせです。甲子園の選手宣誓のごとく、「生かされている」ことに感謝して日々を過ごさなければ…。
と自戒中です。

2011/03/24 14:27

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