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思えば…(書きなぐりその2)
ドイツワールドカップ開始前に、姉崎の練習場にて、当時のジェフ監督としてオシム監督は、ワールドカップに関する報道各社取材を受け、合同記者会見となったことがあった。
J's GOAL
【オシム監督(千葉) W杯共同インタビュー -1- 】「サッカーというのは、バランスを保つために水を運ぶ役割をする選手が必要」
【オシム監督(千葉) W杯共同インタビュー -2- 】「ワールドカップに出るチームが、世界でいちばん良いチームとは限らない」
私はそれを能天気に「オシム監督の実績がやっとわかったのか」とほくそえむ思いで見ていたが、それは今から思うと大間違いだったと思う。
オシム監督に、JFAが最初に接触したのは、対マリノス戦の5月の日産スタジアムとウェブ上の報道で読んだ。その動きは、マスコミ各社が既に知っていたのではないだろうか。そして、ワールドカップが始まるという時に、オシム監督に取材が殺到したのは、旧ユーゴの代表監督としての実績や日韓ワールドカップでFIFA技術委員として来日していたという背景もさりながら、次期日本代表監督として意見を聞きたいということでマスコミが殺到したのではないか。マスコミ各社はあの時点でJFAの考えを知っていたと私は思う。今となっては…だが。
サポーターが何も知らないうちに、水面下で物事が進む。今回のことだけでなく、後から思い出すと「なぜあの時気づかなかったか」と思うことは多い。
例えば、茶野の移籍前。茶野は、工事中のフクアリの見学に行かず、オシム監督に怒られていた。それは、自分が今後在籍するかどうか決めかねていたジェフの新しいジェフのスタジアムを見て、心が揺らぐのを避けたかったのではないか。
例えば、林。昨年のナビスコ決勝にて、「ハースが出場できないので、僕がスタメンとばかり思っていたのに、がっかりした」とはっきり言っていた。優勝の喜びに浸りつつも、林の心には大一番でもジェフのスタメンとして出場できなかったことが、今後も自分はスーパーサブとしての出番しかないとあらためて悟ったのが、皮肉にもナビスコ決勝だったのかもしれない。
祖母井GMのトークイベントで私が何か聞き漏らしたことで、今回の騒動のヒントがあったのかもしれない。なんとなく「あれかな」と思いつつも決定打にはいたらない。きっと、どこかに祖母井GMの本音が隠されていたのではないか…。走り書きのメモを見つつ、考え込む。
フクアリこけら落としで配布された絆ハンカチ
絆、今、この言葉が空虚に聞こえる(見える)
2006/10/11 (Wed.)20:41 Trackback() Comment(0) 丸ごとジェフ(蹴球)
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